はじめに ~日本語とわたし~
台湾人の私は、日本語を学んだおかげでとても不思議な人生を歩んでいます。
はじめて、このホームページを観てくれた人のために、自己紹介を兼ねて私の経験をお話します。
私が日本語を習いたいと思った最初のきっかけは、台湾のある街で見ず知らずの女性が流暢に携帯電話に向かって日本語を話しているのを聞き、
私も日本語を覚えて彼女のようにカッコ良く会話してみたいと思ったことからです。
日本語との運命の出会いはここから始まりました。
2006年4月。
新聞広告で見つけた台湾の日本語学校に通い、最初は50音から勉強をスタートしました。
片言でも外国語を話せるようになっていく自分が嬉しくて、毎日勉強に励みました。
日本語の勉強を始めた時、私は高速道路の料金所で働いていました。
毎日ドライバーさんからチップをもらう単調な仕事の繰り返しです。
一生懸命働いていましたが、職場環境は排気ガスも凄く身体に悪いし、人生がつまらないものに感じられていました。
こんなエピソードがあります。
ある日、職場の男性が私が日本語を勉強しているのを知り、『あなたは本当に勉強しているの?
私の兄は日本語能力試験2級に3回挑戦しているけど落ちました。あなたは絶対合格できないと思うよ』と言いました。
私は勉強スタートから8カ月で2級に合格しました。
その男性はそのあと私の傍に来て『あなたは大した努力家です。
私、負けました。すみません。合格おめでとう。』と言われました。
私は努力することで他人の評価が変わることを知り、この男性には色々な意味で今でも感謝しています。
2008年には最難関の日本語能力試験1級に合格。
家族をはじめ友人知人はみんな驚き、私は日本語教室の責任者に呼ばれ、
自分が通っていた日本語教室の先生として働くようになりました。
学生時代は目立たないおとなしい生徒だったので、
一番私を困らせたのは黒板の前に立ち授業をすることです。
1クラス多い時で生徒80名を受けもつのです。
緊張で胃も痛くなり、先生らしく振る舞えるまでに時間もかかりました。
私が教壇に立つと前に座っているのは、私より年下の生徒ばかりではありません、
私より年上で昼間は一流の会社に勤めている社会人もいます。最初は声も震えました。
私は日本語教室の事務員も兼任していたので、事務的な雑務のほか、教科書の校正、
マンツーマンの個別授業などドンドン仕事を任されました。
私は断れない性格だったので出来ることはなんでも引き受け、毎日が眼のまわる忙しさでした。
でも、生徒に触れる機会が増えるに従い、私の評価は次第に上がっていきました。
日本語教室は3か月通学以上の会員制だったので、生徒が自由に先生を選べるシステムを採用しており、生徒数が先生の評価になっていました。
私が先生をやり出したら教室は常に満員。初心者コースから日本語能力試験1級まですべてのクラスを任されました。
私のここでの努力は、徐々に実を結びつつありました。
しかし、2010年3月 私は当時 みなに内緒で日本人と真剣に交際をしており、
台湾で先生を続けるべきかで悩んだ末に結婚を決意しました。
2000キロ以上も離れた日本の田舎へお嫁にいくことにしました。
日本のお嫁さんだったら当たり前にできる料理も全く自信がありませんでしたし、台湾と日本の文化の違いに驚きの連続でした。
でも、結婚前に台湾の両親2人を群馬県に招待してくれたり、何度も台湾まで足を運んでくれた彼の誠実さに触れ、
『この人と一緒になったら私の人生はもっと凄いことになる』という根拠のない確信がありました。
ただ、私は前向きで負けず嫌いの性格なので、知らないことは聞き、出来ないことは覚えて、毎日の生活を勉強の場としてきました。
忙しい主婦業のすき間時間を利用しながら、日本でも日本語、中国語、英語の資格試験に挑戦し、それぞれにベストを尽くし結果をだしてきました。
語学の勉強をつづけてきたおかげもあり、今では世界中の人と交流が出来るようになり、とても嬉しいです。
私は、台湾の家族や友人に向けてブログやFACEBOOKで近況報告をしていますが、そこで知り合った女性から、
“インターネットで日本語を教えてみたら?”といわれました。台湾では日本語教師を短い時間しかやっていませんでしたし、
日本で暮らしながら日本語を教えることが出来るとは夢にも思いませんでした。
しかし、家族の協力もあり2011年8月から私は再び“日本語の先生”として活躍の場を得ました。
その方法は、国内のみならず海外と通話が可能な無料通話Skypeと日本語学習意欲が高く私を信頼してくれている15名の生徒に出会えたからです。
本当に感謝してします。
そんなわけで、日本にいながら、台湾にいる台湾人、日本にいる台湾人に向けて日本語家庭教師をしています。
みんなから『先生、先生』と呼んでいただけるのが私の生きがいです。群馬県に住む台湾人はまだ少ないですから、
国際結婚した先駆者として国際交流の場を作るような活動にも今後は取り組んでいきたいです。